Social distancingという言葉を目にします。
上記に対して、社会的距離、社会的距離戦略という日本語訳も目にします。

Society = 「社会」の形容詞がSocialです。
そのため、Socialの日本語訳には「的」がついて、「社会的」と訳されます。

Distanceには 「距離」という元々の名詞から動詞に派生し「距離をとる」という意味があります。
そのため、Distancingは、その動名詞であり「距離をとる行動、距離をとる戦略」という意味です。

Social distancingという語の裏にある意味は、Societyという語の本来の意味をたどるとイメージが浮かんできます。
Societyには、「社会」「社交」「共同体」と訳される中、より一歩その意味することを深くイメージしてみると、そこには、「人とのつながり」「交流」「助け合うコミュニティ」「連携」といった、人と人が結びつきあって生まれる状態を意味していることが想像できます。

そのことから、Social distancingという語は、人と人が交流し、助け合い、密な交わりを経て、生み出すポジティブな空間を維持するために、一見その目的と相反する行動である、距離をとる行為を意味していることが分かります。

そこには、相手を気遣う気持ち、相手を守るやさしさ、大切なコミュニティを維持・拡大しようという決意のもとに、敢えて、人と接する回数やその密度を減らしていこうという、想いが込められていると言えます。

一方で、「社会的距離」という日本語訳だけをみると、社会との断絶や、社会からの隔離、周囲との非連携という部分だけがクローズアップされる印象を受けます。
さらに言えば、自分の身を守るために、人とは会わない、という利己主義的な意味合いまでも、浮かんでしまいます。

その原因は、Society (名) →Social (形)の活用を「的」と表現せざるを得ない訳文の限界といえるのではないでしょうか。

「的」のついた形容詞からは、うしろにくる名詞を修飾する、あくまで補完的な位置づけといった印象を受けます。そのため、社会的距離という語では、主役は距離という名詞にあるように見えます。

でも、上記の言葉の成り立つから考えれば、Social distancingの主役は、Social (人とのつながり)にあり、それは、相手を思いやる気持ちが全面にでている語と言えるのではないでしょうか。

相手を気遣うからこそ、外出しないように心がける。
顧客を大切に思うからこそ、無駄な訪問営業を避ける。
同僚を思う気持ちがあるからこそ、リモートワークを積極的に進める。

Social distancingには、日本人が大切にしてきた、相手を思いやる気持ち、他人への優しさ、利他主義の精神がベースにあるともいえると思います。

日本人が世界に誇るべき強みが込められているSocial distancingという語が、日本語訳になると、どうも表現できないところに、もどかしさを感じます。
さらには、英語の話者たちが生み出す造語の創造力にも、一本とられた感じを受けます。
本来、日本人には、自らが主導して、このような造語を生み出せる力があるようにも思います。

意訳をすると、Social distancing = 敢えて離れる思いやりの精神
といういったイメージでしょうか。

よい訳があれば、是非、皆さんもお考えてみてください。